※chatGPTで生成した原文ママです。

歴史の狭間に埋もれがちな二人の二代将軍――室町幕府の足利義詮と、江戸幕府の徳川秀忠による、あの世での苦労人将軍対談を、小説仕立てでお届けします。


《あの世の将軍対談 第二幕》

――「名君か、マイナーか」 足利義詮×徳川秀忠 対談録

ここは「あの世」の一角、歴代将軍たちの集う茶室『将軍庵』。
本日の主役は、天下を開いた父と、その天下を磨き上げた息子に挟まれた「二代目」将軍、足利義詮と徳川秀忠である。

義詮は端正な顔立ちの青年貴族風。秀忠は、実直そうな眼差しを持つ中年紳士の趣き。
茶室の中央で二人は、湯気の立つ茶碗を手に静かに向かい合っていた。


義詮:「……わしら、あまりにも影が薄すぎはせぬかのう?」

秀忠:「……まったく、あなた様もそう思われますか。」

義詮:「父上は言わずもがな尊氏公。弟の直義と骨肉の争いを繰り広げながら、南北朝の修羅を突き抜けて幕府を打ち立てられた。比叡山を焼くような御仁とは違うが……武門の雄であった」

秀忠:「うちも似たようなもので。父・家康は今なお『東照大権現』と呼ばれて神になっているし、三代目の家光は“幕府を完成させた将軍”などと今の世でも人気者。私のことなど、“上田に遅れた人”くらいにしか覚えられていない」

義詮:「おお、それで言えばわしも“天皇を置き去りにして逃げた人”としてばかり語られておる」

秀忠:「……あれは、南朝軍が想定以上に早く京に迫ったせいでは?」

義詮:「無論だ。楠木正成の甥、正儀が天才すぎたのだ。戦に油断は禁物と教わったが……まさか三上皇を敵に奪われようとは」

(義詮、頭を抱えて悶絶)

秀忠:「お気持ちはわかります……私も上田で真田昌幸の罠にどっぷりハマって、関ヶ原に間に合わず。後年まで“遅参の秀忠”と揶揄され続けました」

義詮:「父上には怒られなんだか?」

秀忠:「いや、それが……あの父が“気にするな”と申したのです。“お前が留守居役を務めていたおかげで、徳川の本拠が揺るがなかった”と。……ありがたくもあり、悔しくもあり」

義詮:「わしの父上は……うむ、もう手一杯で、何も言わんかったのう」

(しばし沈黙)

義詮:「しかしな、秀忠殿。わしらのやったことは地味じゃが、地味なりに大事なことだったと、わしは思うのじゃ」

秀忠:「まったく同感です。私が参勤交代制度を整え、幕府の枠組みを固めた。家光にすんなり譲位できたのも、あの11年間の地道な積み重ねがあってこそだと、今では思っております」

義詮:「わしもな、将軍の権威を京の公家たちの中で少しずつ確立していった。室町殿の座を“幕府の中枢”たらしめたのは、尊氏ではなく、わしの代からなのじゃ」

秀忠:「お互い、もっと評価されてもいいのに……」

義詮:「そのうち“名君なのにマイナー”将軍ランキングでも作ってくれるとよいのう。きっと一位と二位は我らだ」

秀忠:「三位は……細川氏綱あたりですかな?」

(ふたり、茶碗を持ち上げる)

義詮・秀忠:「乾杯――地味にして堅実な政(まつりごと)に!」


次回、鎌倉幕府二代将軍・源頼家乱入編へと続く!