――あの世の静謐な庭園。池のほとりにある茶屋で、一人の男が記者の訪れを待っていた。
そこに、目を輝かせた記者が駆け込んできた。
記者:「うおおお! ついに来ましたよ、伝説の隻眼の剣豪・柳生十兵衛三厳先生!!」
しかし、目の前に座っていた男は、どう見ても隻眼ではない。
両目はぱっちりと開き、黒々とした瞳が記者をじっと見つめている。
記者:「あのー、失礼ですが、どなたですか?」
十兵衛:「……わしが柳生十兵衛三厳だが?」
記者:「いやいやいや、そんな筈はないでしょ! 柳生十兵衛といえば隻眼の剣豪ですよ!」
十兵衛:「ハァ?」
男の眉がピクリと動いた。
十兵衛:「おぬし、何を言っておる? わしは生まれてこの方、両目とも健在だ。片目を失った覚えなどないぞ。」
記者:「ええっ!? でも時代劇ではいつも眼帯をつけてますよ!?」
十兵衛:「知らん。わしが眼帯などしたことは一度もない。そもそも、片目で剣を振るうなど、よほどの達人でも難しいことだぞ。」
記者は目を白黒させた。
記者:「そ、そんな……! 夢が崩れる……。」
十兵衛は大きくため息をついた。
十兵衛:「まったく、後世の者は勝手な話を作りよる。隻眼にされたかと思えば、次は何を言い出すのやら……。」
気を取り直した記者は、次の質問を繰り出した。
記者:「では、話題を変えて……。あなたは寛永3年(1626年)、20歳の時に上様(徳川家光)の勘気を被り、出仕停止処分を受けていますね?」
十兵衛は茶を一口すすった。
十兵衛:「……ああ、確かにな。」
記者:「しかし、これは表向きの話。本当はお父上・但馬守宗矩様から密命を受け、その間ずっと公儀隠密として裏柳生の忍者たちを率い、諸国探索の旅に出ていたのではありませんか!?」
記者は身を乗り出して尋ねる。
十兵衛はその言葉に、一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに渋い表情になった。
十兵衛:「……何を馬鹿なことを。」
記者:「えっ?」
十兵衛:「わしが忍者を率いて諸国探索? 裏柳生? そんなものが実在するわけがなかろう!」
記者:「えぇぇぇ!? そんな、時代劇ではよく……!」
十兵衛:「だから、それが創作なのだ!」
十兵衛は呆れたように頭を振った。
十兵衛:「わしは柳生庄に戻り、亡き祖父・石舟斎(宗厳)や親父殿(宗矩)が残した口伝、目録を研究していたにすぎん。それに、時折祖父の門人たちを訪ね、兵法の研鑽に励んでいただけだ。」
記者:「……じゃ、じゃあ、11年間、ずっと剣の修行だけを?」
十兵衛:「当たり前だ。わしは剣の道を極めるために生きておったのだからな。」
記者はがっくりと肩を落とした。
記者:「じゃあ、影で幕府の敵と戦っていたとか、密命を帯びて将軍を守っていたとか、そういう話は……?」
十兵衛:「ない。」
記者:「まじっすか……。」
十兵衛はまたため息をついた。
十兵衛:「まったく、後世の者たちは、わしをただの剣士として描くことがそんなにつまらんのか?」
記者は困惑しながら、それでもなお希望を捨てずに質問を続けようとした。
しかし、その前に十兵衛が口を開いた。
十兵衛:「まぁ、わしの話がつまらんと思うなら、勝手に物語を作るがよい。どうせ、真実を伝えたところで、面白くなければ誰も聞きたがらぬのだろう?」
その言葉には、少しの寂しさと、どこか達観したような響きがあった。
記者は複雑な表情でペンを走らせた。
「隻眼ではない」「裏柳生は存在しない」――柳生十兵衛本人の口からそう語られたことを、果たして人々は受け入れるのだろうか?
それとも、やはり伝説は伝説のまま、人々の記憶に残り続けるのか――。
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