夜半。
京都の外れ、深い木立に抱かれるようにして建つ小さな寺院――
そこに、幕府軍に捕えられた豊臣秀頼の遺児・国松は幽閉されていた。
月は雲に隠れ、境内はほとんど闇に沈んでいる。
その闇のさらに外側。
音も気配も殺した影の列が、静かに寺を包囲していた。
先頭に立つのは、鋭い眼光の壮年の男。
――カスバー・リンツ元大佐。
かつて“薔薇の騎士”と恐れられた部隊の中核を担った、歴戦の指揮官である。
リンツは低く、周囲にだけ届く声で呟いた。
「……柳生の話では、今日は寺の警備を緩めておくということだったが……」
境内を一瞥する。
見張りの人数は、確かに少ない。
その時、影の中から小さな人影が、するりと現れた。
「ソウエイ様」
短く囁く声。
藍色がかった黒髪の少女――ソーカである。
「全員、配置に着きました」
彼女の背後には、気配すら感じさせない人影が、いくつも溶け込むように並んでいた。
青黒い髪。
褐色の肌。
額には、純白の一本角。
闇霊鬼――ソウエイ。
そして彼の背後に控えるのは、テンペストの隠密衆。
藍闇衆(クラヤミ)。
ソウエイは、ゆっくりと周囲を見回した。
視線の先にあるのは、国松が幽閉されている本堂。
「……よし」
わずかに顎を引き、短く命じる。
「合図と共に中へ侵入する」
リンツは、小さく口角を上げた。
「言うまでもないが――」
視線を、配下のローゼンリッターの兵たちへ走らせる。
「くれぐれも見張りの者は殺すなよ?」
ソウエイは即座に答えた。
「承知している」
その声には、迷いも、躊躇もなかった。
必要なのは排除ではない。
無力化――それだけで十分だ。
一瞬。
風が止んだ。
木々のざわめきが消え、虫の音さえ遠のいたように感じられる。
ソウエイが、静かに右手を上げる。
――それが、合図だった。
次の瞬間。
薔薇の騎士連隊の隊員たちは、闇の縁から一斉に動いた。
まるで地面を滑るように。
藍闇衆の影は、さらに速かった。
屋根の上、塀の上、木の枝、回廊の影――
あらゆる死角へと、同時に散っていく。
見張りの一人が、違和感に顔を上げかけた、その瞬間。
背後から伸びた手が、静かに口を塞いだ。
音はない。
悲鳴もない。
ただ、崩れ落ちる身体を、別の影が受け止める。
「……確保」
藍闇衆の短い合図が、闇の中を流れた。
別の場所でも、同じ光景が繰り返されていた。
ローゼンリッターの兵が、息の合った動きで二人一組となり、巡回の兵を挟み込む。
首筋に当てられた布と、正確な打撃。
一瞬の意識喪失。
それだけ。
殺しはない。
流血もない。
ただ、闇の中から、静かに人が消えていく。
ほどなくして。
ソウエイの前に、ソーカが戻ってきた。
「外周、制圧完了です」
リンツもまた、低く報告する。
「こちらも問題なしだ。……さすがだな」
ソウエイは、短く頷いた。
「行くぞ」
静かに歩き出し、本堂へと近づく。
重く閉ざされた引き戸の前で、彼は一度だけ立ち止まった。
――この扉の向こうにいるのは、徳川の世にとっては“消えるべき存在”。
だが。
自分たちにとっては、守るべき命だ。
ソウエイは、音も立てずに指を伸ばした。
引き戸が、わずかに開く。
闇の中へ、薔薇の騎士連隊と藍闇衆は、静かに、そして確実に侵入していった。
コメント