志摩国・鳥羽。
海から吹き込む湿った風が、加茂御所の長い回廊を静かに抜けていった。
関ケ原の戦いの後――
この地には、かつて世界を恐怖に陥れた闇の象徴が、ひっそりと幽閉されていた。
ショッカー首領――
またの名を「大首領」と呼ばれる存在である。
光と闇の最終戦争《ハルマゲドン》に敗れ、かつての圧倒的な力も戦闘能力も、すでに失われて久しい。
だがその頭脳と謀略の才だけは、徳川家康からさえ
「宇宙一の大天狗」
と評されたほど、衰えてはいなかった。
鹿ケ谷の陰謀。
関ケ原における水面下の策謀。
そして、この加茂御所に幽閉されてからも、大首領は地獄大使とショッカー残党を浪人衆に紛れ込ませ、地球方――すなわち豊臣方の武将として地球連邦軍に送り込み、再び宇宙を戦乱へ引き戻そうと試み続けてきた。
だが、そのすべては失敗に終わっている。
それでも――
大首領の胸の奥に燻る炎は、まだ消えてはいなかった。
御所の奥座敷。
高座に座る大首領の傍らには、女怪人・蜂女が静かに控えていた。
衰えた身体を気遣うように、そっと肩に手を添えている。
大首領は、細く笑った。
「フフフ……古狸め……最後の最後になって、情に絆されおったか……」
その声はかすれていたが、鋭さだけは失われていない。
彼の情報網は、すでに動きを捉えていた。
――豊臣国松、救出計画。
障子の向こうから、黒いマントを揺らして男が姿を現す。
地獄大使であった。
「首領。
国松の身柄……こちらで奪い取りましょうか?」
クリスタルパレス落城の混乱に紛れて脱出し、密かにこの加茂御所へ戻ってきたばかりの地獄大使は、低く問いかける。
だが、大首領はゆっくりと首を振った。
「……いや」
短く、冷たい声。
「殺せ」
地獄大使の瞳が、わずかに細くなる。
「国松が死ねば、宇宙には再び憎悪と疑心暗鬼の渦が巻く……
それこそが、我ら闇の者の糧となるのだ」
大首領は、懐から一枚の写真を取り出し、地獄大使へ差し出した。
写真に写っていたのは、精悍な顔つきの一人の武将であった。
「……この男を、利用しろ」
「何者ですか。この男は」
地獄大使が問い返す。
大首領の口元が、歪む。
「石見国・津和野城主。
坂崎出羽守直盛」
静かな口調で、その名を告げる。
「この男……命がけで千姫を、落城寸前のクリスタルパレスから救い出した。
にもかかわらず、古狸は――」
声に、かすかな嘲りが混じる。
「“千姫を助け出した者には、嫁として与える”という約束を、反故にしおったのだ」
地獄大使は、すぐに理解したように頷いた。
「……なるほど。不満と恨み、ですな」
「そうだ。
人の心の傷ほど、扱いやすい刃はない」
大首領は、低く言い切った。
「坂崎直盛は、己の正義に誇りを持つ男だ。
だからこそ……裏切られた時の怒りは、深い」
地獄大使は一礼する。
「畏まりました。お任せを」
そう言い残し、静かに座敷を後にした。
その背が消えた直後――
大首領の身体が、わずかに前のめりになる。
「……ごほっ……ごほ……!」
苦しそうな咳が、座敷に響いた。
蜂女はすぐに身を寄せる。
「大首領様!? 大丈夫でございますか!?」
大首領は、胸元を押さえながら小さく息を整えた。
「……だ、大事ない……」
だが――
口元を押さえていた掌を、そっと見つめた蜂女の顔が、凍りつく。
そこには、はっきりと血が滲んでいた。
「……大首領様……!」
震える声で呼びかける蜂女。
しかし、大首領は答えなかった。
視線は、遠く、見えない虚空を睨みつけるように向けられている。
――自分の命が、長くはないこと。
その現実を、彼自身が誰よりもよく理解していた。
大首領の唇が、かすかに動く。
「……徳川の世など……来させはせん……」
声は弱々しい。
だが、その奥に宿る怨念は、なお濃い。
「……家康より先に……死ぬものか……ッ……!」
吐き捨てるようなその呟きは、静まり返った加茂御所の奥深くへ、重く沈み込んでいった。
(つづく)
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