魔国連邦テンペスト――京都藩邸。

 和洋折衷の広間に、ひとりの異邦人が通された。背筋を伸ばし、年齢の読めぬ眼差しで奥を見据える男。

 ヨーステンである。

 主座に座るリムル=テンペストは、湯気の立つ茶碗を置き、静かに男を見上げた。

「貴殿にとっては、いきなりこんな話を持ち掛けられて迷惑なことでしょうな」

 前置きのような口調で、ヨーステンは言う。

「しかし――大御所様は、黙認なされる御所存です」

 その一言で、空気がわずかに張りつめた。

 リムルは小さく肩をすくめる。

「……まことにもって、迷惑千万だな」

 それは本音だった。

 国松。

 まだ幼い少年の名が、胸の奥に引っかかる。

(子供の命が、権力の都合で消えるなんて……)

 感情だけで言えば、助けたい。
 だが、彼は一国の主でもあった。

 地球連邦が滅び、世界の均衡が崩れつつある今。
 ひとつの判断が、国と民の運命を左右する。

 しかも、家康は「命じている」のではない。
 ただ「黙認」しているだけだ。

 成功すれば、誰の功でもない。
 失敗すれば――責任はすべてテンペストに降りかかる。

「……重臣たちと相談したい」

 リムルは短く告げた。

「どうぞ。ただし」

 ヨーステンの声が、わずかに低くなる。

「国松君の処刑の期日は、迫っておりますぞ」

 その言葉を残し、ヨーステンは一礼して控えの間へ下がった。

          ◆

 ほどなくして、別室に幹部たちが集められた。

 ベニマル、シュナ、シオン、ソウエイ、ディアブロ。
 そして数名の重臣たち。

 簡潔に事情を説明すると、真っ先に口を開いたのはベニマルだった。

「……家康の罠ではないでしょうか?」

 率直で、現実的な疑念。

「地球連邦が滅びた今、次に幕府の矛先がどこへ向くか分からない。
 この件を利用して、我が国を試そうとしている可能性は十分にあります」

 室内に、沈黙が落ちる。

 誰もが同じ不安を抱えていた。

(だよな……普通に考えたら、そう思うよな)

 リムルは目を閉じ、意識を内側へ向ける。

(――シエル)

《はい。主様(マスター)》

 脳裏に、澄んだ声が響く。

(ヨーステンの話……罠の可能性は?)

《結論から申し上げます。
 その可能性は、極めて低いと判断します》

(根拠は?)

《家康側が、今回の件を公式に利用する準備・裏付け工作が存在しません。
 また、ヨーステン個人の行動履歴から見ても、独断性が高く、政治的な誘導の痕跡は確認されません》

 淡々と、しかし揺るぎなく。

《本件は、利用価値よりも、リスクの方が家康側にとって大きい行動です》

(……つまり)

《罠ではありません》

 短く、断定だった。

          ◆

 リムルはゆっくりと目を開いた。

「今の話、全部そのまま言うけどさ」

 そう前置きしてから、シエルの分析を、かみ砕いて幹部たちに伝える。

 家康側の動きの不自然さ。
 公式な裏取りが存在しない点。
 そして、ヨーステン個人の行動傾向。

 説明が終わるころには、皆の表情も少しずつ変わっていた。

「……なるほど」

 ベニマルは腕を組んだまま、小さく息を吐く。

「少なくとも、“はめるための話”ではなさそうですね」

 そのとき、静かにシュナが口を開いた。

「リムル様は……どうなさりたいのですか?」

 問いは、とても素朴だった。

 だが、だからこそ核心だった。

 リムルは少しだけ視線を落とし、そしてはっきりと顔を上げる。

「もちろん俺も――国松くんは助けたい」

 一拍。

「家康の意向は、関係なしにな」

 その言葉に、シュナはほっとしたように微笑む。

「では、リムル様の御心のままになされませ」

 その一言で、リムルの中の迷いが、すっと消えた。

「……決まったな」

 吹っ切れたように、こっと笑う。

 そして、視線を二人の男へ向けた。

「国松くんの救出は――ディアブロとソウエイに任せる」

 室内の空気が、わずかに引き締まる。

「ヨーステン殿と協力して、国松くんを助け出せ!」

 即座に、二人が膝をついた。

「畏まりました」

 深く、恭しく頭を下げるディアブロ。

「お任せを」

 短く、鋭く応じるソウエイ。

 その背に、迷いは一切なかった。

(誰にどう思われようと――)

 リムルは心の中でつぶやく。

(守れる命があるなら、俺はそれを選ぶ)

 静かな京都の夜の下で、魔国連邦はひとつの決断を下した。