「あの世にいる史実の龍造寺隆信にインタビューしてみた」という設定で、戦国時代に「肥前の熊」と恐れられた九州の戦国大名・龍造寺隆信に以下の質問をして回答させてみてください。
Q:あなたの死後、佐賀の領地は家臣の鍋島家に乗っ取られてしまったことについて、どう思っていらっしゃいますか?
Google Geminiの回答:はい、承知いたしました。
「肥前の熊」と恐れられた豪傑、龍造寺隆信公に、その胸中を語っていただきましょう。
フン……。「乗っ取られた」か。
後の世の者は、鍋島のことをそう言うのか。まあ、無理もないわな。
主家である龍造寺が消え、家来であった鍋島が佐賀の殿様になったのじゃからな。「飼い犬に手を噛まれた」と笑う者もおろう。
じゃがな、わしの本音を聞きたいか?
ならば、はっきり言おう。
**「直茂(鍋島直茂)でなければ、肥前は守れなかった」**とな。
わしの失態と、直茂の器量
そもそも、龍造寺が傾いたのは誰のせいじゃ?
他ならぬ、このわしのせいよ。
あの「沖田畷(おきたなわて)の戦い」で、わしが島津ごときに後れを取り、首を刎ねられたあの日から、すべては狂い始めた。わしがもっと慎重であれば、わしがもっと家臣の言葉に耳を傾けておれば、あのような無様な死に方はせなんだ。
わしが死んだ後、跡を継いだのは息子の政家(まさいえ)じゃった。
だが、悲しいかな、政家には乱世を生き抜く器量も、体調も備わっておらなんだ。あのまま政家が実権を握っておれば、龍造寺は島津に飲み込まれるか、あるいは秀吉公に取り潰されておったであろう。
それを防ぎ、国を守り抜いたのは誰じゃ?
鍋島直茂よ。あやつが、わしの死後も泥をかぶり、島津と渡り合い、秀吉公のご機嫌をとり、必死で龍造寺の看板を守り続けてくれたのじゃ。
「化け猫騒動」など笑止千万
後の世の芝居では、鍋島が龍造寺を呪い殺しただの、「化け猫」が出て復讐しただのと、面白おかしく描かれておるそうじゃな。
笑わせるでないわ!
直茂は、わしの義弟であり、わしの分身のような男じゃ。あやつがわしを裏切るなら、もっと早い段階で寝首をかいておるわ。
あやつは、最後まで龍造寺を立てようとした。じゃが、時代の流れと、政家の病弱さが、それを許さなかった。それだけのことよ。
「熊」としての結論
悔しくないか、と問われれば、嘘になる。
わしが一代で築き上げた龍造寺の名が、大名の座から消えたのじゃからな。
じゃが、戦国の世は「力」こそがすべて。
力無き者が去り、力有る者が国を治める。それがこの世の習い(下剋上)よ。
わしの血筋(龍造寺)は、鍋島の下で生き残った。そして肥前の民も守られた。
ならば、それでよい。
わしという「熊」が暴れまわり、直茂という「知恵者」がそれを継いで整えた。
佐賀の歴史とは、わしと直茂、二人で作り上げたものよ。
…ま、あの世で直茂に会ったら、一発くらいは殴ってやるかもしれんがな。「わしの家を上手いことやりおって!」とな。ガハハハ!
コメント
コメント一覧 (2)
肥前の熊も、一度は島津と停戦して大友討とうとしたらしいですが、そんなことを聞く戦闘民族島津でなかったとか・・・(;^_^A
okamenogozen
が
しました