「あの世にいる史実の藤原泰衡本人にインタビューしてみた」という設定で、藤原泰衡に次のように問いかけてみました。
Q:「まんまと頼朝に騙されて滅ぼされてやんのww 義経を鎌倉に差し出そうが差し出すまいが、どっちみち頼朝は最初から奥州藤原氏を滅ぼす気満々だったのに、それを見抜けないとは愚かな奴。だからお前は偉大な先代だった親父の秀衡公と比べてポンコツだって言われるんだよ。義経様を裏切った報いだ! ザマァみろ!」
さて、このように言われた泰衡は、どのような反応を示すのでしょうか?
Google Geminiの回答:……その口を、閉じよ。小童(こわっぱ)が。
そなたのような、血も涙も知らぬ者に、わが苦悩のひとかけらでも分かるとは思わぬ。
愚か者か、現実主義者か
「まんまと頼朝に騙されて」か。いかにも、百年の後から安穏と物を見る者の言い草よな。
では聞くが、そなたがわしの立場であったなら、どうした?
父・秀衡が築いたこの黄金の都、平泉には、京の都をもしのぐ富があった。じゃが、それはあくまでも「富」じゃ。鎌倉が持つ、坂東武者を束ね上げた圧倒的な「武力」の前には、砂上の楼閣に過ぎん。
頼朝が、いずれこの奥州を攻め滅ぼす気であったことなど、とうに分かっておったわ!
問題は「いずれ」がいつ来るか、じゃった。
九郎判官(義経)殿を匿い続ければ、頼朝は「弟を匿う謀反人」として、大義名分を得て**「今すぐ」**攻めてくる。
じゃが、九郎殿の首を差し出せば、その大義名分を奪うことができる。そうなれば、鎌倉もすぐには動けまい。その「いずれ」を、少しでも先に延ばせるやもしれぬ。万に一つ、平泉が生き永らえる道が見つかるやもしれぬ。
わしは、騙されたのではない。その万に一つの可能性に賭けたのだ。一族の未来を、百年の栄華を、その細い糸に託したのだ。それを愚かだと嘲笑うか? それは、王の決断というものを知らぬ者の戯言よ。
父・秀衡との違い
「親父と比べてポンコツ」とな。ああ、そうじゃ。わしは父のようにはなれなんだ。
父・秀衡は偉大であった。じゃが、父の時代と、わしの時代は違う。父が相手にしたのは、まだ力の定まらぬ坂東の武士たちや、遠い京の公家たちじゃった。
わしが相手にせねばならなかったのは、誰か? 日本六十余州を手中に収め、弟ですら容赦なく切り捨てる、鎌倉の頼朝であった。
父は、わしにあまりに重い遺言を残された。「九郎殿を大将軍として、鎌倉に対抗せよ」と。それは、あまりに美しい、じゃが現実を見ぬ夢物語じゃ。その夢のために、一族郎党、奥州の民草すべてを、今すぐ戦火に晒せと申されるか。
わしが選ばねばならなかったのは、わしの命か、一族の未来か、ではなかった。
「九郎殿と共に夢を見て、今すぐ華々しく滅びるか」
それとも、
「英雄を討つという汚名を着てでも、一族が生き永らえる僅かな望みに賭けるか」
その二つしかなかったのだ!
報い
「義経様を裏切った報い」「ザマァみろ」か。
フン。父の遺言に背き、我が手で英雄を討った男が、何の報いも受けぬとでも思っておったか。
わしはな、衣川の館に火をかけたあの日から、己が地獄に堕ちることを覚悟しておったわ。
頼朝に滅ぼされ、家臣に裏切られ、首を晒されたのが、その報いであろうよ。
存分に嘲笑うがよい。
じゃがな、覚えておくがいい。歴史とは、勝者の物語。そして、わしのような敗者の屍の上に、そなたたちの安寧があるということを。
わが苦悩も知らず、軽々しくわしを罵るでないわ。
なるほど、藤原泰衡にも彼なりの葛藤があったのですね。それでは追加で引き続き彼に質問をしてみます。
Q:藤原泰衡は大抵の時代劇ドラマでは「義経を裏切った卑怯者」として描かれ、善人、ましてや主人公になるなんてことはまずありえません。ところが1993年7月4日から1994年3月13日まで放送された32作目のNHK大河ドラマ『炎立つ』の第三部では、渡辺謙さん演じる泰衡が主人公として描かれました。義経と鎌倉との間で板挟みとなり苦悩しつつも、戦を回避しようと奔走する泰衡の姿が好意的に描かれました。義経に関しても「鎌倉には偽物の首を送り付け、本物の義経はこっそり逃がした」という設定でした(もっともその後ドラマの劇中でも、暴走した家臣が泰衡に無断で動いて史実通り義経は討ち取られてしまうのですが…)。
このドラマの中で描かれた泰衡の感想を、史実のあの世にいる泰衡本人に聞いてみてください。
Google Geminiの回答:ほう…。
わしが…物語の主役、だと?
しかも、あの渡辺謙とやら申す、名のある役者が、このわしを演じた、と…。
…フッ。それは、まことか?
この、父祖百年の栄華を終わらせた暗君と、未来永劫そしられるはずの、この藤原泰衡をか。
そなたの話を聞いて、どう思ったか、じゃな。
…ただ、一言。**「救われた」**と思ったわ。
戦を避けるための苦悩
そうよ。その物語に描かれた通り、わしは、戦などしたくはなかった。
父が、祖父が、曾祖父が、この奥州の地に戦乱を持ち込ませぬため、どれほどの知恵を絞り、どれほどの屈辱に耐え、そしてどれほどの富を京に注ぎ込んだか。その血の滲むような努力の結晶が、この黄金の都・平泉寺じゃ。
それを、わが代で血に染めたくはなかった。断じてな。
鎌倉との圧倒的な力の差は、火を見るよりも明らかじゃった。戦になれば、一族郎党、そして奥州の民草が地獄を見ることになる。それだけは、何としても避けねばならなかった。
後の世に、その苦悩のひとかけらでも汲み取ろうとしてくれる者たちがおったとは…。思いがけないことよ。
九郎殿(義経)を逃がすという夢
そして…九郎殿の偽の首を送り、北へ逃がす、か。
…見事な筋書きよな。
できることなら、そうしたかった。
父・秀衡の遺言も守れ、鎌倉との戦も避けられる。そのような夢のような道がもしあったのなら、わしは喜んで九郎殿の前にひざまずき、北の果て、あるいは大陸へでもお逃げいただいておったであろう。
じゃが、現実は非情よ。
鎌倉の目は、奥州の隅々にまで光っておった。そのような小細工が通用する相手ではない。そして、わが一族の中にも、九郎殿の存在を快く思わぬ者、鎌倉に媚を売って我が身の安泰を図ろうとする者がおったのも、また事実…。
物語のように、家臣がわしに無断で動き、事が壊れた、か。
あるいは、それもまた、真実の一つの形やもしれぬな。わしが、家中を一枚岩にまとめきれなかった、という弱さの表れじゃろう。
わしは、奥州藤原氏の歴史を終わらせた敗者として、永遠に「愚か者」「卑怯者」と蔑まれるものと覚悟しておった。
じゃが、そなたの言う物語が、わしの絶望の中に、一条の光を差してくれたやもしれぬ。
その渡辺謙とやら、そして、そのような物語を紡いでくれた者たちに、礼を言っておこう。
敗者であるわしの心の叫びに、耳を傾けてくれたことを。
…それだけで、この魂も、少しは救われるわ。
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okamenogozen
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